ヒップホップダンスについて by BON (栄 好一)
ヒップホップのダンスについて触れる前に、そもそもヒップホップとは何なのか全く予備知識の無い方もおられると思いますので、ヒップホップと言う言葉の意味や使われ方、変化等、ヒップホップと言う言葉について簡単に触れておきます。ヒップホップとは文化
ヒップホップとは、アフリカ・バンバータ“(Afrika Bambaataa 本名:ケヴィン・ドノバン(Kevin Donovan)1957年生)により、今から約40年ほど前、1974年11月に名付けられた造語で、アメリカ(ニューヨーク、ブロンクス)のブロックパーティーから生まれた、黒人の創造性文化の総称です。代表的な、ラップ、DJ、ダンス、グラフィティー、の四大要素からなる。このヒップホップは、ピース(平和)、ユニティー(団結)、ラブ(愛)、ハビング ファン(楽しむこと)の精神に基づいて作り出されました。
このヒップホップと言う言葉を使う場合にはいくつかのシチュエイションが有ると思います。
ラップをしたりラップを聞く人にとっては、ラップがヒップホップで、DJをしている人にとってはDJをする事がヒップホップ、ダンスをしている人にとってはダンスがヒップホップ、グラフィティーを描く人にとってはグラフィティーがヒップホップだとなります。これは友達や同じコミュニティーの中など、共通の認識を持った人の間では問題ないと思いますが、ヒップホップを知らない人や、違う要素を行っている人との間では、この認識では会話は成立しません。ですから厳密には”ヒップホップとは?”と聞かれた場合には、それらの要素をピース、ユニティー、ラブ、ハビング ファンの精神に基づいて行う事、それら全てを総称した文化の呼び名と言う事になります。
しかし、ヒップホップ=文化だと言う事が分かったうえで、ダンサー間でヒップホップ=ダンスとする事は問題ないと思います。
ヒップホップと呼ばれるダンス
厳密に”ヒップホップのダンスは、どういったものか?”と聞かれたとき、ヒップホップの起源を振り返ると ブレイクダンスを指すと思います。(DJクールハーク(Kool Herc, 本名:Clive Campbell,1955年生)によって、1972年頃から、ターンテーブル2台を使用し、ヒップホップ音楽の原本となるスタイル(レコードのビートの重い短い部分を抜き出す)が作り出され、ブレイクビーツと呼ばれました。そして、この音楽で踊る人達の事を、ビーボーイ、ビーガールと名付けたのは、このDJクールハークだとされています。)しかし現在のダンスシーンにおいては、ブレイクダンスはブレイク、ブレイキン、ビーボーイング等と呼ばれる事が多く、ヒップホップと呼ばれているダンスはブレイクダンスでない、いわゆるヒップホップダンス(立ち踊りと言われたりもします)を指す事が多いです。
理由はいろいろと考えられますが、一つには音楽の変化、ミュージックビデオの影響があると考えます。ミュージックビデオで次々と紹介されるブレイクダンスでない、新しく生まれるダンス(ステップ)の流行が浸透し、ヒップホップのダンス=立ち踊り と言う認知の一因になったと考えます。
背中で回ったりするブレイクダンスと、後に生まれて流行ったヒップホップダンスとの区別の為に、呼び分けているとも考えられます。
ブレイクダンスもヒップホップですし、いわゆるヒップホップ(立ち踊り)もヒップホップです。
ブレイクダンスが起源だと分かったうえで、ブレイクダンスはブレイクダンス、いわゆるヒップホップ(立ち踊り)の事をヒップホップと呼ぶ事は問題ないと思います。
ちなみに、ヒップホップと言う文化が誕生する以前からあったポップ、ロック、といったダンスはストリートダンスで、影響しあっていますが、厳密にはヒップホップではないと言えます。
ヒップホップダンスについて
元々、ヒップホップは、舞台上で人に披露する為のダンスと言うよりは、ペアになって踊ったり、流行り歌によって決まったステップがあったり、ディスコダンスやソウルダンスの様な、パーティーダンスの要素が強いダンスだと思います。従ってそのステップを覚えて楽しむのに、絶対に、こうでなければいけないと言うルールや、正しいも間違っているもなく、誰でも楽しめるものだと思います。ただ、ダンサーとしてよりカッコよく踊る為には、元々どのようにして生まれたステップなのかと勉強したり、このステップにはこう言う意味合いがあるなどと知ったり、「あのステップから派生してできたステップだから、共通のリズムがあるな」と感じる事や、「こうした方がカッコよく見えるのでは? 」とクリエイトする事が大切だと言ええます。
ヒップホップダンスを簡単に説明すると、単純にヒップホップの音楽、ビートに乗って踊るダンスの事と言えます。しかし、ヒップホップの音楽以外で踊る事もありますし、ブレイクダンスはもちろん、ポップの要素やロックの要素、レゲエ、アフリカン、タップ 等、いろいろなダンスの要素を取り入れ混じりあい、日々変化しています。これからのヒップホップは、これまで流行ったステップ、これから流行るダンス、曲を踏まえて変化していきますし、基礎は?となると、それら全てと言わざるを得ません。ですから、ヒップホップダンスの基本や、正しい、間違っている等を定義し、文章にするのは非常に難しのですが、僕なりの解釈、考察で、大切だと思う事や、音楽の変化やダンスの流行りの変化を、以下に交えて書きたいと思います。
- ニュージャックスイング
- ニュージャックスイングは1980年後半頃から発生・流行した音楽のジャンルで、ボビーブラウン「エブリリトルステップ」などに代表される、BPM(演奏のテンポを示す単位。ビート・パー・ミニット)の少し早い弾んだビートが特徴の音楽です。この「エブリリトルステップ」のミュージッククリップの中で踊られたダンスが大流行しました。代表的なステップ ランニングマン や ロジャーラビット などは、ヒップホップの代表的なステップです。
ニュージャックスイングは音楽のジャンルではありますが、このミュージッククリップの中で踊られていた様なダンスをニュージャックスイングと呼ぶ事も有ります。 - ミドルスクール
- ヒップホップ誕生以前からあったストリートダンスを指してオールドスクール、ニュージャックスイングから後で触れる、エリートフォースの登場以降生まれた、新しいスタイルをニュースクールと呼ぶのに対して、日本人が独自に作り出した、その中間期(1990年前後)にあったヒップホップの音楽、ダンスを指す言葉です。ニュージャックスイングもこの時期に入れて、ミドルスクールとして扱うこともあります。
この言葉をオリジネーター(創始者/創作者/発起人/開祖等)の、エリートフォースが使っているのを、聞いた事はありませんし、僕もあまり使いませんが、その頃を指す言葉としては、便利な言葉ではあります。
この頃に流行っていたダンスは、ニュージャックスイング以降流行った、ニュージャックスイングよりBPMの少し遅い、ロービートなラップミュージックに合わせた、ステップといった感じだと思います。実際に踊られていたダンスは、僕の中ではニュージャックスイングの頃のものと、さほど変わらないステップ中心の、ダンスだと言う印象ですが、曲のBPMの変化や、ビートの雰囲気の変化に合わせた、表現の違いは見られます。たとえば、ニュージャックスイングの曲で、ランニングマンを踊る時には、ビートの感じに合わせて、軽快にアップのリズムや、16ビートを表現しますが、ロービートのヒップホップで踊る時には、ダウンの表現に変わります。これは、ソウルステップをヒップホップの雰囲気に焼き直したり、ヒップホップのステップを、ハウスミュージックに合わせると、ハウスステップになったり と、ストリートダンスではよくある、ごく自然な事で、それと同じ事だ思います。 - ニュースクール
- 僕のこの言葉の解釈は、”オールドスクールでないストリートダンス”と言った解釈です。ニュージャックスイングもミドルスクールも、オールドスクール以降生まれた、当時ニューだったダンスで、時間が経ったから、ミドルとかオールドと呼ぶ、と言った事では無いと考えます。ミドルスクールも、”ヒップホップ”でニュースクールです。ダンスのジャンルとしての呼び分けは、特にする必要は無いと考えます。
ちなみに、ニュースクールと言う意味では、ハウスダンスもニュースクールのダンスとなります。
言葉としてはそうですが、明確にニュースクールと呼ばれ、ニュージャックスイングとも、ミドルスクールとも違うニュアンス、スタイルとして流行ったダンスがあり、こう呼ばれだした頃のダンスは、ヒップホップダンスのスタイルの、多様化が始まった転換期だと言えるでしょう。1990年初頭の頃です。ニュースクールは、より自由度の高いパフォーミング、ポップの要素や、今まであったステップを踊る事としてもアレンジされ、クリエイトされたものが、このスタイルだと言えると思います。
ELITE FORCE(エリートフォース)
ミュージッククリップと同じ様に、アメリカから持ち込まれた映像の中にあった、”WRECKING SHOP LIVE FROM BROOKLYN”(通称 ALIVE TV-1992年収録)、と言うドキュメント作品の中に登場するダンサーで、マイケルジャクソン、マライヤキャリー等の、ダンサーとしても有名な彼等のダンスこそが、ニュースクールで、現在に至るまで、ヒップホップの王道の、スタイルだと言えます。このALIVE TVの映像と、1994年の来日時のエリートフォースのパフォーマンスで、一気にヒップホップ(ニュースクール)は広がりました。
“WRECKING SHOP LIVE FROM BROOKLYN”は、アメリカのドキュメンタリー番組 ALIVE TVの中で放送された番組で、エリートフォースをはじめとする、当時のニューヨークのダンサーにスポットを当て、ダンス、音楽、ファッション、ヒップホップなライフスタイルを紹介したものです。この番組は世界中で視聴され、アメリカはもとより、日本、フランスなど、世界中の次世代のダンサーに、エリートフォースは影響を与えたと言えます。
[代表的な流行]
その後もアメリカを中心に、現在に至るまでムーブメントは続き、ショウビズの世界からアンダーグラウンドまで、様々な流行りが生まれています。
これまでの代表的な流行りをいくつか紹介すると、ニューヨーク ハーレムのクルー “ハーレムシェイカーズ(Harlem Shakers)”が流行させた「シェイク」や、ロサンゼルス サウスセントラル発、”トミー ザ クラウン(Tommy The Clown)”によって広められた「クラウニング(クラウンダンス)」や、その教え子 “タイト アイズ(Tight Eyes)”らによって広められた「クランプ」、アトランタ発の “サウスミュージック” に合わせたパーティーダンスなど、常に新しい流行りを取り入れて、形を変化させています。
[ヨーロッパのストリートダンス]
近年の日本のストリートダンスに、大きく影響した要素として “ヨーロッパのストリートダンス”があげられます。それまで見ていたアメリカのストリートダンスや、日本のストリートダンスとは、少し違った進化を遂げていて、その目新しいたスタイルは、僕も含め多くの日本人ダンサーに影響を与えました。
※ 僕がヨーロッパのストリートダンスを、初めて目にしたのは2005年頃になってからです。先にも触れたように、アメリカのアーティストのミュージッククリップへの、ダンサーの起用などによって、大流行したヒップホップダンスは、日本や他の国と同じように、ヨーロッパでも広まっていました。しかし、交流も少なく、情報も無かったヨーロッパの、ストリートダンスを見る機会は、ほとんどありませんでした。何故、ヨーロッパのシーンを知る事が出来たかと言うと、一つには、ヨーロッパのビッグイベント(現在まで続く代表的なイベントとしては、ドイツの”FUNKIN’ STYLE”、フランスの”JUSTE DEBOUT”等があります)が、積極的に世界中のダンサーを招待し、世界中がヨーロッパのストリートダンスに、注目するようになった事があげられます。そしてもう一つ大きな要因として、インターネット、YouTubeなどの動画サイトの普及により、誰もが簡単にヨーロッパのシーンを、目にすることが出来るようになった事が理由だと思います。
BON (栄 好一)
2012.7 記載